これが私の生きる道!
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三途の川からの華麗なるリターン
私の名前は足田竜子(あしだりょうこ)と申します。54才。大阪は布施という処で生まれ育ち、今も暮らしています。
娘は二人おります。そして長女は結婚し一男一女を授かる事が出来ました。なので私はもうお婆ちゃんと呼ばれる身分なのです。
今は両親と暮らし、時折訪れる孫たちと公園で遊んだりしてますと言えば、ごくごく平凡の幸せを享受している中年女性をあなたは思い描くかもしれませんね。

今でこそ普通に言葉を話せ、普通に二足歩行し、普通に棚にある物を降ろせたり出来るようになったと言えばどうでしょう?
そして生死の境を彷徨い、MRI検査の途中に先立たれた主人が目の前に現れ「こっちに来るか?」と言われたと言えば、少しはご興味を持って貰えますでしょうか?
今の現状に一番驚いているのは、きっとこの私だと思います・・・
2016年3月、私は脳梗塞で突然倒れました。その1ヶ月前に主人が癌で亡くなりました。こういう場合もし私がその場で死んでいれば「後を追うようにして亡くなった」と、きっと言われるのでしょうね。
実際先に亡くなった主人は、私が脳梗塞後のMRI検査の途中現れて、あの世に一緒に行くかと聞きました。もし私が「行きます」と思えば、私の命はその時で終わっていたでしょう。でも、私はその時キッパリと断りました。大阪弁で「なんで!一緒に行かなあかんねん‼️あほちゃうか‼️」と。
なぜそうも断固として断ったかという理由を書けば、小説一冊分程の量にもなりますのでここではどうか割愛させて下さい。
とにかく私は三途の川手前でウロウロしておりました。現実世界では超が付くほどの方向音痴も功を奏したのか、私は三途の川を渡らずこの世に戻って来ました。
入院生活3か月の結果、自宅に帰ってきたもののその頃の私は廃人同様な生き方でした。歩くことが出来ないので外出は基本出来ません。手が肘より上に上がらないので、物も持つことが出来ません。掃除、洗濯、料理などもとんでもありません。まず、まともに喋ることさえ出来ないのですから・・・
この時期は家族にとんでもない程の迷惑をかけながら、私は生きていました。
精神状態もいつも夢遊病者のように焦点がなく、常に忙しなく爪でテーブルをただただ叩いていました。大半は虚ろな意識が続き、突如として襲ってくる恐怖心に苛まされていました。
「私って、生きてていいの?」
廃人同様の身になった自分に何度も何度も問いかけました。
焦燥感だけが募る日々の中、友人からあるセミナーがある事を教えられました。聞けばそのセミナーの内容はケイ素についてのものだと聞きました。
ケイ素・・・

あまり馴染みのある言葉ではありませんでしたが、この「ケイ素」というものを私は偶然知っておりました。その理由はなんとか自分の不自由な体を治したくて、インターネットで色々探している時に偶然見つけたものが「ケイ素」だったのでした。そしてそのケイ素を飲める商品としたものが「水溶性ケイ素」というものであり、私はそれを買って飲んでいたのです。でも単に飲んでいるだけで、詳しくは知りませんでした。何かの縁で知ったその「ケイ素」というものに、もう少し興味が湧いてきました。
セミナーの日は嵐でした。
雨風が台風並みに強く、参加予定の人の大半は来ることも出来ないほどの状態でした。セミナー開始時間になっても到着しているのは私だけでした。仕方ないので聴衆は私だけでしたが、講師の方はお話を少しずつはじめてくれました。
何気に行ったセミナーで出会ったこの講師の人こそ牛王田(うしおだ)さんと言って、今後の私の人生に大きく協力をしてくれる人だったのです。
まさしく私の運命のターニングポイントは、嵐と共にやってきたという感じでした。
牛王田さんはケイ素歴14年ということで、とても丁寧にケイ素について教えて頂きました。健康面での良さ、美容面での良さ、そしてケイ素は精神面にもすごく有効だということをその時はじめて聞き知りました。
そして牛王田さんを通じて、その水溶性ケイ素を製造しておられる会社の代表の高橋社長という方にもお会いさせて頂きました。福井県の永平寺が子供の頃の遊び場で、お坊さんと遊んでいたというような、本当にお坊さんのようなお考えの方でした。
私は水溶性ケイ素というもの、そしてそれに関わるステキな人たちと出会い、なんだからワクワクしてきました。こんな気持ちになれたのは、本当に久しぶりの事でした。
私は少し嬉しくて、自分の周囲の人たちに私が知った「ケイ素」というものを教え始めました。教えると言っても、ただただ「コレええで!」みたいな感じです。そうすることで私の周囲にも、ケイ素の愛用者が少しずつ増えだしました。
そういう状況を見ていた牛王田さんが、足田さんもケイ素の商品を扱えばいい。とおしゃってくれました。扱うということはそれで商売をするということです。それまで雇われでデパートの売り場とか、葬儀屋で働いた経験はありますけど、自分で商売をした経験などはありません。迷っている私に、「足田さんはケイ素を扱う人ですね。竜だから」と高橋社長から初対面でお会いした時に言われた言葉が蘇りました。
竜はケイ素を扱う・・・

2018年6月私は地元の布施という土地で「ケイ素セミナー」をはじめて主催しました。
私はケイ素によって蘇生されました。一時は話すことさえままならない状態だったのが、ケイ素を飲むことでこんなに元気になりました。
ケイ素を勉強するうちに、人間にとって欠かせないのがケイ素という元素なんだということが分かりました。現にケイ素を飲むことで、私の体は見違えるようになりました。そして私の周囲でもケイ素を飲むことで、健康を回復したり元気になる人が増えました。
ケイ素を教えてくれた牛王田さんは、2019年の終わりに新しい商品をリリースされました。それは発酵食品というもので、俗にいう酵素ドリンクと酵素スティックというものでした。

私は五十代の普通の主婦だったため、物事をよく知りません。「酵素」というものもテレビなどで聞いた事はあるけどほとんど知りませんでした。でもその商品に付随するファスティングという言葉は、雑誌でもよく取り上げられているのでピンときました。
ファスティングはダイエット効果があり、女性のスタイルを良くするもの!
私はケイ素を飲むことで意識はしっかりしてきました。そして動かなかった腕も普通に動かせるようになりました。しかし、外見はとんでもない事になってしまっていたのです。
普通に元気になり食欲も元になると、元来甘いもの好き、お菓子好きが高じて見る見る体重が増えていきました。顔もアンパンマンのようになり、下あごも相当なものです。
でもそういう事も振り返ってみれば、恥ずかしくもあり分かるのですが当時としては全然気が付きませんでした。それが当たり前のことであり、全然恥ずかしくも感じていませんでした。怖い事ですねぇ。
当時の私は出掛ける時は決まって麻の長いワンピースを着ておりました。大麻が身を守ってくれることと同時に、心のどこかで体形を隠そうと思う気持ちもあったのでしょうね。そういう心理も心のどこかであったのか、酵素ドリンク=ファスティングと聞いた時、すぐにやってみたいと思ったのだと思います。

この酵素ドリンクはマクロビオテックの専門家である姜道子さん、その娘さんのヒャンミさん母娘によって10年掛けて開発販売されたものです。ヒャンミさんはアメリカのフィラデルフィアで上級マクロビオテック講師として現役で講師もされています。
そのお二人の直接指導によって、私の人生ではじめてのファスティングは成功しました!



私の人生ではじめてのファスティングは、専門家のお二人の先生のコーチングによって成功出来たと思います。これが一人だけでやっていたなら、上手く出来たかは分かりません。
ファスティングには正味のファスティング期間とその前段階の準備食、そしてファスティング後の回復食がいかに大事かを教わりました。それによってファスティングが上手くいくかそうでないかが大きく変わります。
またファスティングに使う酵素ドリンク、酵素スティックが最上のものなので味も美味しくとても飲みやすいものなので、それも続けられた要因だと思います。
自分の体形が変わったことで周囲からは当然「変わったね」「キレいになったね」と言われる機会が圧倒的に増えました。女性ならそんな誉め言葉を貰えたなら、当然嬉しくなり毎日のテンションも上がります。
自分の体形が変わったことで周囲からは当然「変わったね」「キレいになったね」と言われる機会が圧倒的に増えました。女性ならそんな誉め言葉を貰えたなら、当然嬉しくなり毎日のテンションも上がります。
私はさらにファスティングの知識を得たく思い、ファスティングアドバイザーの資格を取得しました。その勉強する中で日ごろの「食事」の重要性も知りました。私はいかにこれまでの食生活がだらしなかったか、ということが嫌と言う程わかりました。
今お話してきましたように、私を三途の川の中からこの世に引き戻して元気にしてくれた「ケイ素」、そして外見的にも女性に戻してくれた「酵素」を私と年の近い40代、50代、60代の人たちに絶対お伝えしく思いこのサイトを作りました。
これを読んで頂いて少しでもピンときた人は、まずは私にアクセス下さい。
人は私のように、いつからでも変わることは出来るものです!
最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。
